織屋の原点へ

着物・帯を創るとき、単に美しければよいのか、技術的に優れていればよいのか、その逆説として手作りであればよいのか、ということは常に考えています。現代における着物の位置を考えると、楽観的にそれらに沿って創作を行うことは、表現者として思考停止している状態なのではないかと感じることがあります。”伝統”衣装や”伝統”産業のように”伝統”という名の下に汲々として逃げ込んでいるような気がしてなりません。

着物・帯がファッションであるということは論を待ちませんが、度々着物が「キモノ」と表記されることからも明らかなように、最早一般の衣装でないことは誰もが認める事実であり、再び日常的に広く使用されることは、残念ながらもう有り得ないことだと思います。我々の業界内でそのような甘美な夢を語る人がいますが、それは幻想に過ぎません。

そんな中で、どう着物・帯と向き合っていったらよいのか。そのためには、今日の日本の状況とその成り立ちを少し考えてみるのも良いかもしれません。

今日の日本の低迷と自信喪失の根底にあるものは、原爆投下そして敗戦という未曾有の体験により、歴史を断絶されてしまった現代そのものにあると言えます。他国による統治に始まり、自国を他人の手に委ねることを当然としてきた我々は、その自立性を失い国家の戦略を立てることが出来なくなってしまいました。すっかり国としてのOSを喪失しているために、何から手を付ければいいのか、何が重要なのか、何が危機なのかさえわからず右往左往する様子は、ここに住む我々にでさえ滑稽に映ります。その端緒は、明治維新から続く歴史の分断にあるということができると思います。

プレモダンと呼ばれる近代以前の文化は、明治以後の新政府の方針で遺棄すべきものとして扱われてきました。特に近代以前にあった土俗的なものも含む禍々しいイメージの芸能や絵画は、日本人本来の思想、哲学を体現した素晴らしい芸術の集積でしたが、新国家建設に背くものと捉えられ排撃の対象になりました。しかし、毒々しいほどに生命力溢れた色彩などは今見ても驚くほど新鮮です。歌舞伎などにはそのような部分が残っていると言えますが、異形な部分を削ぎ落としたお陰で新政府と寄り添い、現在までも命脈を保っていると言えます。それでもそういったプレモダンの文化は民衆の中では根強く残ってきましたが、戦後のGHQの政策と情報化が進み均質化した社会の中では居場所は多く残りませんでした。特に近代化=経済発展を旗印に高度経済成長を為し得た時代には、前時代的な文化や伝統的な価値などに敬意を払う者など数少ない芸術家以外(岡本太郎、三島由紀夫など)誰一人いませんでした。

しかし、平成の代になり、経済至上主義もデッドエンドになるのと並行して、和の文化の見直しなどと叫ばれるようになりました。例を挙げてみても、京都の観光客の増加や「歌舞伎」「能」「落語」など辟易するほどのメディアの和文化特集ら枚挙にいとまがありません。このことは帰還する場所なき漂流を続けてきた現代日本人の帰着点が近代以前の文化だったという証左より他ありません。

今だからこそ、現代日本が目を背け捨象しようとしてきた日本人の生活や情念を想起する装置としての着物・帯を表現することに意味があるのではないか。それも遷都により維新を相対化して見ることができ、唯一、先の戦争の戦禍を免れた都市・京都という土地だからこそ生み出せるデザインや色彩があるのではないか。禍々しくも心の滓に残響するような色彩や文様を弊店の帯から感じてもらえれば、それ以上の喜びはありません。現代を生きる日本人にとって一驚と郷愁をない交ぜにした感情を揺り動かすデザインを日々研鑽しながら創作してゆきたい、と考えています。

大庭 左由夫
(平成20年6月工人展パンフより抜粋)